ひっそりとした時間を感じている紫希と反対に、紀伊梨はーーー正確には紀伊梨の部屋は大分ハッスルしていた。
遊びに来た隣室のクラスメイトと共に、就寝前の枕投げ大会である。
「おりゃー!」
「てい!」
「甘い!」
「ぶっ!ちょっとー!顔は無しって言ったじゃーん!」
総勢7人が狭い部屋で遊ぶと、涼しい山の中でも段々体温が上がって行く。
暑い。
と思った紀伊梨が考えなしに窓を開けた直後、その事件は起こった。
「あちゅいあちゅい・・・おお!お外が涼しいーーーー」
「馬鹿!紀伊梨!」
「え?おおおお!?」
枕が吹っ飛んできたが、咄嗟に紀伊梨は避けた。
そのおかげでというかその所為でと言うか、枕は紀伊梨の向こう側にーーーそう、窓から外へ飛んで行ってしまったのである。
「あーーーー!」
「あーあー。」
「五十嵐ちゃん、終わる前に窓開けちゃ駄目だよ・・・」
「ありゃりゃりゃりゃ・・・ごめーん!取ってくるー!」
「大丈夫ー?1人で行ける?」
「う!あ、でも!ホテルが明るいから大丈夫!行ってきまーす!」
こうして紀伊梨は、1人で部屋どころかホテルの外に出た。
「ひゅー!涼しいー!えーと、枕枕・・・あ!あった!」
枕は直ぐに見つかった。
思った通りだった。確かに外灯がないので中から外を見ると暗く見えるが、逆に外に出るとホテル全体が光源になるので、足元が見える程度には明るい。
ちょっと草と土がついた不運な枕を手で払って、さあ帰りますかと顔を上げると、少し離れた所に。
「・・・あれ?にゃんにゃん?」
あの猫だった。
黒猫な上に今夜なので、闇に溶けてとても視認しづらいが、多分間違いない。
「おーい、にゃんにゃん。こっちおいでー。」
すすす、と後ずさる猫。
紀伊梨はその分だけじりじりと距離を詰める。
「にゃんにゃーん。」
尚も後ずさる猫。
尚も進む紀伊梨。
「にゃーん。」
すすす。
じりじり。
「にゃにゃんがにゃーん。」
すすすす。
じりじりじり。
「にゃーん、」
「五十嵐!」
はた。
と顔を上げて後ろを振り向くと、其処には幸村が居たどころか自分の肩に手をかけていた。
「あり?ゆっきーだ!どったの、こんなとこでー!」
「俺の台詞だよ。どうしたんだい五十嵐、怖いのが嫌いなのにこんな暗い所まで来て。」
「え?おおう!?本当だ、暗い!ホテルが遠い!!」
幸村はちょっと涼みに外に出ただけだった。
そしたら偶々紀伊梨を見かけて、声をかけようとしたらふらふらふらっとホテルと逆方向へ歩いていくものだから、珍しくぎょっとして慌てて後を追いかけたのだ。
「ゆっきー戻ろ!暗い暗い!ここ怖いよ!」
「うん、だからそう言ってるのは俺の方なんだけど。」
「ほら!にゃんにゃんもそんな暗い所居ないでこっちおいで・・・あり?」
案の定というかなんというか。
兎も角猫はもう居なかった。
「猫が居たのかい?」
「うん!黒いにゃんにゃん!」
「・・・昼も猫を見たって言ってたね?」
「そう!同じにゃんにゃんだよ!病気してたから直ぐわかるよ!今日山でも見たのになー。この辺に住んでるのかにゃ?」
しかしこの辺に住んでるのなら、登山家達である程度人馴れしているだろうからもうちょっと触らせてくれても良いのにと思う。
いや、病気だから普段より警戒しているのだろうか。
「何にせよ、あんまり周りを見ないで出歩かない方が良いよ。困るのは五十嵐なんだから。ただでさえ暗いのが怖いのに。」
「だってー・・・」
「迷子にもよくなっているし。」
「ぐ!そ、そーだけどー!」
「今は良いけれど、明日の夜間学習で迷子になったら身動きが取れないかもしれないよ。五十嵐は暗いだけでパニックになるし、適当な影を見つけたらすぐお化けだのなんだの言って泣き出して逃げ出して1人に・・・五十嵐?」
「あい・・・」
「伸びるから引っ張らないで貰えるかな?」
紀伊梨は幸村の着ているTシャツの裾をそれはもうがっちり掴んでいた。
握られすぎて間違いなく皺になっている。
「だってこあいもん・・・」
「うん、怖い物はもう仕方がないから。だから明日は注意するんだよ?」
「あい・・・」
離せと言っても離しそうにない顔をしている紀伊梨に、幸村はもう全てを諦めた。せめて明日同じ憂き目にあう人が出ない事を祈ろう。
「・・・ふふっ。」
「にゅ・・・?」
「五十嵐は本当に変わらないね。小さい頃からずっとこうだったよ。」
幸村は幼少の頃より物怖じしない子供であった。
人並みに怖い物もあったが、ことお化けだとか幽霊だとかそういう現実的でないものに対してはついぞ怖いと思った事が無い。
だから昔から紀伊梨がお化けを怖がると、こうしてよくカルガモ状態になった。何処へ行くにもこうしてたし、お互いの家に泊まった時は廊下の電気のスイッチまで連れて行ってやったりしたものだ。
言っちゃなんだが、紀伊梨ちゃんは幼いんだな、なんて幸村は同い年ながらに思ったりもしていた。だから過剰に怖がるんだと思っていたけれど、こうして幼くなくなっても紀伊梨は変わらない。全然変わらない。
「そんな事ないよー!廊下の電気は1人で点けられるようになりましたっ!帰りもちゃんと消してるもん!」
「でも、偶に怖いからって言って点けっぱなしにしてるよね?」
「え”」
「おばさんから聞いてるよ。後から消しに行かなくちゃいけないって。」
「おかーさん!もー!駄目じゃんそんな事言っちゃ!」
「他にもあるよ。うっかり心霊番組を見た時は、紗彩さんかおばさんと一緒にお風呂に入ってるとか。」
「それはー!」
「そもそも怖くて寝られない時は、おじさんとおばさんの間に入って3人で寝てるとかね。」
「だってー!だってだってだってー!」
自分でも情けないけど、怖い物はどんなに頑張っても怖いのだ。
紀伊梨だって(気まぐれに)克服してみようと思い立つ事はあれど、夜の家の真っ暗闇とずっと対峙しているとしゅるしゅると勇気が萎んでしまう。
「むー・・・紀伊梨ちゃんだって平気になれたら良いなって思ってるんだよ?怖いものは少ないほーが良いしー、大人になってもお化け怖がってたらちょっと格好悪いしー・・・」
「というかそれ以前に、大人になった時にはもう1人になる予定だしね。」
「えっ!?」
「えっ、て・・・だって、そうだろう?五十嵐は大きくなったらアイドルになるんだから、今みたいに夜は親の居る生活は出来ないと思うよ。」
「ええええーーー!?」
だってそもそもアイドルなんて、売れれば売れるほど昼夜問わず飛び回ってなきゃいけない仕事だ。仮に実家に住んでいたって、やれ泊まり込みの仕事だとか終電逃したから家に帰れないだとか、そういう事は幾らでも起こりうるだろう。
「そうでなくても五十嵐は時間にルーズなんだから、理想を追求するならいつかどこかの事務所に所属した時は、その事務所の近場に住むのが多分一番良い。」
「あ、そだねー!近いと良いよねー!遅刻しないしー、忘れ物も取りに帰れるし!」
「でも、そういった事務所は大体が東京だろう?」
「・・・はっ!?」
「神奈川から通えるかい?横浜とかなら兎も角、湘南となると電車の乗り換えの問題もあるし、なかなか遠いよ。」
「た、確かに・・・」
言っちゃなんだが自信がない。
今だって紀伊梨は朝は母に起こして貰わねば自分で起きられない。
通学ならばまだ良いが、これがアイドルになって起きる時間が早朝になったり不定期になったりしたら流石の母も面倒見きれないだろう。
「うーん、じゃあじゃあ!紀伊梨ちゃんは、東京で紀伊梨ちゃんの事務所の近くでルームシェアしてくれる優しい人を友達にしないとって事ですな!」
「結局誰かとは暮らすつもりかい?」
「1人寂しいじゃーん!お化けが出なくて遅刻しなくても、紀伊梨ちゃん毎日お家に1人は嫌だよ!」
「ペット・・・は、五十嵐1人じゃ無理か。確かに一緒に住むなら人間の方が良いかな。」
幸村は分かって居ない。なまじ自分がそうでないだけに。
人間何事にも向き不向きというものがあって、それは独立も例外ではないのだ。
親から離れてーーーまあぶっちゃけて言ってしまえば「誰にも面倒見て貰えない生活」と言う奴にもある程度向き不向きがあって、不向きな人間と不向きな人間が一緒になったって、そんな直ぐにはあれこれテキパキ出来るようにはならない。
紀伊梨なら、ルームシェアを本気で目指せば相手には事欠かないだろうからまあ平気かな。危ない奴なら周りが止めれば良いし。なんて考えている幸村だが、危なくないしルームシェアにも乗り気だけど独り暮らしが下手な奴という、まあ言うなれば紀伊梨の同類が将来1人増えるかもしれない。そういう可能性だってあるのだ。
まだ誰も其処に思い至らないけれど。