そんなこんなで夕食も終わり、自室・・・というか、あてがわれた部屋でくつろぎモードに入っていた時だった。
「あれっ?」
可憐はポーチをベッドの上でひっくり返してみた。
「ない・・・」
「可憐?どしたの?」
「タオルハンカチが見当たらなくってっ。チェック柄のやつなんだけど、見なかった?」
「あ!それってもしかして、隅っこに犬のマークのワンポイントついてるやつ?」
「そうそれっ!知ってるっ?」
「部室のデスクの上に置かれてたの見たよ!可憐のだとは知らなかったから、回収しないで放っておいちゃったんだけどさー・・・」
「ううん、そんなの良いよっ!教えてくれて有難う、私取ってくるっ!」
「今から?」
「大丈夫?」
「大丈夫、今日は晴れてるからっ!」
こうして可憐は、思いがけず部室に一人戻る羽目になったのだった。
まあ学校内での移動でしかないので不審者とかそういう心配はほぼないだろうが、夜間で暗いしくれぐれも足元気を付けてね。
と言われて見送られた可憐は、普段より2、3割増しくらいの頻度で躓きつつも、なんとかテニス部の敷地の近くまで来ていた。
「や、やっと着いた・・・」
ただでさえ氷帝学園は広いので、暗い中を転びながら進むとなると結構な苦労である。
もうさっさと用事済ませて、明日に備えて寝てしまおう。
と、思っていたのに。
「・・・あ!」
しまった。
鍵を取ってくるのを忘れた。もう施錠されてるのに。
「えええええ・・・!」
今から職員室に戻るのか。もう、目的地目の前なのに。
でも、いくら距離的に目の前でも入れないんじゃどうしようもなく。
言いようのない徒労感に襲われつつ、がっくりと肩を落として踵を返そうとしたその時だった。
「・・・あれっ?」
気のせいだろうか。
何か、向こうの方が明るい気がする。
(・・・もしかして、誰か居るのっ?)
試しに少し扉を押してみると、敷地内へと通じる門扉は音もなくスッと開いた。
間違いない。誰かが中に居るのだ。
しかもこの明るさ。
その誰かさんは多分部室棟ではなく、コートの方のライトを点けている。
とすると、マネジではなくて部員だろうか?もしかしたら昨日あたりにコートに何か落とし物でもしたのかも知れない・・・なんて考えながらそちらの方に向かう。
と。
「・・・・・!」
コートに居たのは忍足だった。
いつものジャージではなく私服のTシャツに綿の短パンを履いていて、ネットの向こうにマシンを置いて球出しさせている。
コートの外から見ても分かる勢いで汗をかいていて、幾ら今は夏で暑いとはいえあそこまでびっしょりにはなかなかなるまいと思うレベル。きっと、それなりの時間の間ずっとああして練習していたのだろう。
「?誰・・・可憐ちゃん?」
「あ!お、お疲れさまっ!」
忍足は可憐に気づくと、手を止めてこっちを見た。
「ごめんね、邪魔しちゃってっ!」
「別に邪魔やあらへんで。もう球切れやからそろそろ一旦補充せなと思うてたとこやったし。」
「・・・・・・」
「どないしたん?」
「あ、ううんっ!」
(補充って事は、まだ続けるつもりなんだ・・・)
「ずっとここで練習してたのっ?」
「せやな、夕食の後から。一応跡部から許可は貰ってるねんけど。」
「そうなんだっ。やっぱり、今日勉強日だったからっ?体動かしたかったみたいな感じっ?」
「まあそんなとこやわ。」
これは半分嘘。
半分は本当だけど。
今日は本当に一切ラケットを持たない日だったので、なんとなく落ち着かないなと昼辺りからぼんやり思ってたのは事実だった。そういう意味では可憐の予測は当たり。
ただ、それだけだったらここまではしなかったとも思う。
「でも、あんまり無理するのも良くないよっ?毎日練習詰めだと逆に効率は落ちちゃうから、休める日はちゃんと休んで、」
「せやな、分かってんねんけど・・・誘惑に負けたわ。」
「誘惑っ!?普段あれだけ練習してるのにっ!?っていうか、明日はもう普通にハードな練習に戻るんだよっ!?」
「まあせやねんけど。」
忍足は苦笑する。
そういう誘惑じゃない。と、勘違いされる言い回しな事は分かってて言ったのだ。
忍足が誘惑されたのは、練習じゃない。芥川と跡部だった。
今日見たあの試合は、1年生同士の試合として控えめに言ってもハイレベルと言って良い試合だった。
同時に思った。自分じゃ、あの試合は出来ない。
あれは芥川だからあそこまで跡部に食い下がった試合が出来たのであって、相手が自分だったらああは出来なかった。それは入学時に試合やってあっさり負けて、よく身に染みている。
(ーーー今はな。)
そう、今。今の自分では出来ない、という話。
今だけだ。いずれ追いついてやる。
火を点けられた心はとてもじっと休んでいる気になれないという誘惑に抗えず、忍足の背を押してコートまで連れてきたのだった。
まあ正直に可憐にそうとは言わないけど。
プライドに関わるから。これもある意味では男の嫉妬なので。
「ねえっ!忍足君、聞いてるっ!」
「ん?ああ、堪忍な。ちょっとぼーっとしてたわ。どないしたん?」
「後どれくらい続けるのっ?まだやるんだったら、私タオルとか何本か出すよっ?」
「ああ、別にそんなんしてもらわへんでもええで。自主練なんやし、自分の面倒は自分でみな。」
「そうっ?でももののついでだし、結局部の為にもなるしっ。」
「それはそうかもしれへんけど、悪いしーーー」
「あれ?開いてんじゃん!」
「つうか明るいな・・・誰か居るのか?」
なんという聞き覚えのある声。
「向日君っ!宍戸君っ!」
「あれ?桐生!侑士!」
振り向くと案の定というか、予想通り2人の友人が居た。
2人とも忍足のようにシャツと綿パンの部屋着ルックでーーー片手にはラケット。
「2人ともどないしたん。」
「いや、まあ・・・こう、飯食ったからそろそろ風呂行こうかと思ったんだけどよ。」
「けどっ?」
「何か違和感すげーんだよ!ここ2日ぐらい死ぬほどハードだったのに、いきなり汗一つかかねーで風呂入るような日になったってのが!」
変に怠い、逆に、とか言って肩を回す向日。
隣の宍戸も頷いていて、忍足は小さく微笑んだ。
まあ。結局自分達みたいなテニスバカはこうなるもんなのだ。
「・・・えへへっ!やっぱりタオル出そっかっ!」
「マジ?サンキュー!」
「岳人は遠慮のう人に甘えるなあ。」
「良いのか?勝手にタオルとか使って?」
「ちょっとだけだし、全然大丈夫だよっ!待ってね、確か第一部室に余りのタオルがーーー」
「それ、第二部室に運んじゃったから今はないわよ?」
「あれっ?そうだっけ、じゃあ第二まで行かないと・・・って、茉奈花ちゃんっ!?」
「はぁい♡」
なんて言ってひらんと手を振る網代が、いつの間にか背後に居た。
そしてその隣にもう一人。
「げえ、跡部!」
「アーン?げえとはなんだ、ご挨拶じゃねーの。」
「いやその・・・何しに来たのかと思って・・・」
「こういう自主練って、許可とか要るもんなのか?」
「要らねえよ。というか、何か勘違いしてねえか?俺様は別にお前らを咎めるために来たわけじゃねえんだ。」
「あれっ?そうなのっ?」
「このラケットを見て目的がわかんねえのかよ。」
いや、わかるよ。分かるけどさ。
「自分、今日はもう試合したやん。」
「あれだけで動いた内に入るか。」
「さて!じゃあドリンクも出しちゃいますか。」
「よっしゃ、ラッキー!」
「何か手伝うか?」
「ううん、良いよっ!2人も居れば十分だよっ!」
わあわあ言いながら夜のコートに響き始める、ラケットがボールを打つ音。
人数がちょっと増えたし、コートもう一面ライト点けようかという話になり。
更に明るくなったライトを見て、なんだなんだと結局一人また一人と自主練に出てきてしまうのは、暫く後の話。