それが2年生の夏の話。
そこから秋になってしばらく経つまでの間は、紫希にとって夢のような日々が続いていた。
「はあ・・・・」
本を読み終わる。
大体の本は読み終わったら何とも言えない感慨があるのだが、これは特に良かった。
大きい満足感を覚えつつカップに口をつけると、もう無くなっている。おかわりしよう、と思ってカウンターを見る。
「・・・・・!」
あの日以来、丸井とはよく目が合うようになった。
今みたく、本に熱中しているのを一方的に見られているのも珍しくない。
そして目が合うと、楽しそうに笑うのだ。表立って声をあげたりはしないけど、必ず笑う。また熱中してる、と言われてるようでちょっと恥ずかしい。
「バッションティーのショート、ホットでお願いします・・・」
「はい、390円になります。」
丸井は実におかしそうに注文を受け付けてくれる。
言葉としては普通だけど、目を合わせて、「知ってる人」に対する接客をしてくれる。紫希はそれが嬉しかった。
「今日の本も面白いですか?」
「は、はい・・・」
「ティッシュあっちにあるんで、良かったらどうぞ?」
「きょ、今日は泣く予定はないですから・・・」
たまにこうしてからかってくる。
そうされると紫希はなおさら恥ずかしいのだが、それでも良かった。
それ以上に幸せだった。
潮目がはっきり変わったのは、そろそろ本格的に冷えて来るような、秋の深まった頃だった。
「じゃ、お疲れ様でーす。」
「おう、お疲れ。」
丸井がお疲れ、と言ってバックヤードに戻る物音が聞こえる。丸井は今日、もうあがりらしい。
自分もそろそろ何かお代わりしようと紫希の意識がカウンターに向いた時だった。
「山本、丸井ってさあ。」
「はい?」
「12月24のシフトってどうすんのか知ってる?」
どき、とした。
12月24と言ったらクリスマスイブである。
紫希もバイトしているからわかるが、この日にシフト入ってるということは、高い確率で恋人とか居ない。逆にこの日空いていないということは、一緒に過ごす誰かの当てがあるということで。
(な、なんでこんな話を・・・あ!そ、そうか、この席カウンターから見えないんでした・・・)
多分今、紫希しか残っていないのである。そしてその紫希が死角に居るから、スタッフ側が無人と思い込んでプライベートな話をしているわけだ。
すぐに席を立って、存在をアピールすれば、多分会話は終わるだろう。
でも紫希はできなかった。行儀がよろしくないとはわかっていたが、続きを聞きたいという誘惑に負けた。
女性スタッフの声がする。
「いや、丸井君とか絶対シフト入らないよ。デートするじゃん。」
「でも24のとこ空欄にしてあったぜ。」
「ああじゃあ、今保留ってことにしてるんじゃない?」
「保留?」
「今、好きな子デートに誘えるかもしれない、ってとこなんでって言ってたから。もしデート誘ってみて、駄目だったらシフト入ります。OKだったら出勤しません、って感じで行きたいんじゃない。」
心臓が冷えた。
「・・・・・・・・」
まだあたたかいカップをぎゅ、と握ったが、一瞬で冷たくなった指先はまったく暖まらなかった。
居るんだ。
好きな子。居るんだ。
誰かは分からないけど、これで居ることは確定だ。
デートに誘ってもらえるような、幸運な女の子が本当にこの世に居るんだ。
そう思うと、現実感で苦しくなった。
丸井が直接言ってたのを聞いたわけじゃないが、あそこまではっきり「言ってたよ」と断言してる辺り、多分噂とかじゃなくて事実だ。
「何それ~・・・」
「駄目だったらって、駄目とか絶対ないでしょ丸井君に限ってー、って思うんだけどさあ。」
「なあ。丸井ともあろうやつが、いつになく自信ないじゃん。いつも余裕なのに。」
「俺だって人並みには怖いですって言ってたよ?まあ本気なんじゃない、それだけ。」
視界が滲んだ。
別に振り向いてもらえるなんて端から思っちゃいない。
いないけど、もう少しこの時間は続くと思っていた。
でももう駄目だ。
間もなく、丸井には彼女ができるだろう。そうなるともう、片思いすらも許されない。
「・・・・・・・」
もう、ここに来るのはやめよう。
少なくとも、傷が癒えるまで。