「はあ・・・はあ・・・」
紫希は全体を通しても後ろの方に位置しながら歩いていた。
千百合も紀伊梨もどちらかというと人を置いていく側なのに対して、逆に「どうぞどうぞお先に行って下さい私は遅いので」と言う側に居るのが紫希である。
千百合は元々ああ見えて体力のある方だが、報道部の江野も存外スタミナのある方だし堀江も空手部。最初は4人一緒にスタートしたが、1人抜け2人抜け、とうとう紫希は1人になった。
とはいえ、こっちの方が気は楽と言えば楽である。
寂しいけど、付き合わせるより良い。
のろのろと前進していると、背中から声がかかった。
「春日さんですか?」
「おう、大変そうじゃの。」
「あ、柳生君・・・仁王君・・・」
振り向くと、柳生は苦笑。仁王はちょっと目を細めて見せた。
「2人共、どうしてこんな後ろに・・・」
「生徒会の事で用事がありまして、最後尾に居らした先生に少し。春日さんは調子は・・・大丈夫ではなさそうですね?」
「思うたより顔色が悪いぜよ。」
「そう?ですか・・・?」
「辛いんじゃったら、ちいとどこかで腰かけて休んだらどうじゃ。其処ら中に居るじゃろ、休み休み進んどる奴が。」
「駄目です・・・私そういう事をすると、もう立てなくなりますから・・・」
マラソンと同じ原理である。体力が尽きてしんどい時こそ歩くな止まるなというが、あれはスタミナが弱い者が足を止めてしまったが最後、もう再度走り出せるようなエネルギーは出て来ないからそう言われるのだ。
「来年は考えた方が良いな。」
「そうですね、検討しましょう。」
「来年・・・?」
「ここのハイキングコースなんですが、距離と険しさは少し難しいものを例年わざと選んでいるんです。実を言いますと。」
「そうなんですか?」
「ええ。立海は体育特化型学校の一つですから。」
「体力レベルの高い奴が多いからの。標準レベルのコースを歩かせとったら、登った気にならん奴が多いらしいぜよ。」
実は立海の林間合宿は、20年ほど前までもっと緩めの山を目的地に組み立てられていた。
だが林間合宿について生徒のアンケートを取ると「もう少し山に登り応えがあっても良い」という意見が毎年のように出ていたため、ちょっと方針が変わったのである。
「ああ・・・そうですね、確かにこの位が良いのかもしれません・・・」
「ですが、全員が運動部なわけでも体力があるわけでもありませんから。」
「お前さん以外にも、ひいひい言いながら登っとる奴も居るき。」
と言いつつ、実際紫希レベルで困ってる生徒は少数派なのがなんというか、立海の優秀な所である。基本生徒達のスペック・・・特に運動に関わるそれが大凡高めなのだ。
「・・・それから春日さん、前以て言っておきますが。」
「はい・・・?」
「この山道は長いので、実は途中脱落用に別途楽なコースがあるんです。」
「えっ?」
「ええんか?生徒会機密じゃろ。」
「元々、体調を崩したりした人の為の物ですから。春日さんがそうならないとも限りません。」
登山の途中でどうしても動けなくなる生徒と言うのは、必ず一定数出て来る。
それなりの山道なら引き返すなり登り切ってしまうなりという手段が取れるが、今回上るルートは結構長い上に険しめ。だから、途中からでも離脱出来るようにそれ用のルートがあるのである。最も、健康な生徒が楽したいが為にそこを通るのを防ぐ為、知っているのは教師と生徒会だけなのだが。
「有難う御座います・・・でも、もうちょっと頑張ります。」
「つくづく強情じゃな。」
「ごめんなさい、我儘は自覚してます・・・」
「我儘と言いますか、やはり大儀そうに見えてしまうので。よろしければ、何か持ちましょうか?」
「え?」
「荷物が軽くなれば、もう少し楽になると思いますから。」
「いっ・・・いえ!そんなの良いです、大丈夫です!お気持ちは有難いですけど、そんなに重い物は入ってませんし、皆と同じ物しか持ってませんから・・・」
「大儀そうなのは荷物のせいかの。」
「え・・・」
「何ぞ憑いとる可能性も否定は出来んぜよ。」
不意に自分のリュックの上に何かが覆いかぶさっている図が脳裏に浮かんで、サッと紫希の顔色が青くなった。
「仁王君?感心しませんよ、そういったジョークは。」
「涼しくなったじゃろう?」
「そういう問題ではないでしょう。春日さん、大丈夫ですか?」
「はい・・・・」
とは言いつつ、目はどうしても後ろのリュックの方に行ってしまう。
紀伊梨程ホラー嫌いではないが、紫希だってそう耐性の強い方じゃないのだ。
スプラッタ映画とかそこまで進んで見たいと思わないし、信じる信じないの話とは別に「ほら、其処に長い髪の女の人が・・・」とか言われたらなんとなくそんな気もしてしまう。
「ああ、でも確かに体温が下がった気はします・・・有難う御座います・・・」
「春日さん、こんな冗談に気を使う事はありませんからお気になさらず。御気分が悪いなら休んで下さい。」
「大丈夫です。ちょっと怖かったですけどまだ明るいですし・・・別に前後に人っ子一人居ないわけではないですから。他の人の気配があるだけで、安心します。」
歩くペースが平均より遅い紫希は、確かに全登山中の生徒の集団からは外れているが、それでも小さく見える範囲には前にも後ろにも自分と似たようなペースの生徒が誰かしらは見受けられるのである。
これで夜の山道1人きりとかだったら心が折れそうになるかもしれないが、顔を上げれば木々を通り抜けてまだ明るい夏の日差しが照らしてくれる。
「仁王君も、有難う御座います。なんだかちょっと気が紛れました・・・」
「そうやって礼を言われると、なんだか悪い事をした気になるの。」
「なんだかではなく、最初から悪い事をした気になって下さい。」
「ケロ。」
「・・・ふふ。」
束の間疲労を忘れて紫希は微笑んでしまった。
柳生が仁王と仲良くやっているようで良かった。
まだ2人のダブルスを見る機会には恵まれていないけれど、ダブルスはコンビの相性が何より大事といつか幸村から聞いた事があるから、こうして部活の外で馴染んでいるのを見るとホッとする。
「あの・・・私、大丈夫ですから柳生君と仁王君はもうお先に行って下さい。」
「ですがそれは・・・」
「倒れたらどうするんじゃ。」
「大丈夫です・・・どうしても無理そうと思ったら、何処かに座って先生を待ちますから。」
柳生と仁王は顔を見合わせた。
確かに紫希のペースに合わせると、自分達的には遅め、を通して遅すぎるに入る。
前後に人も居るし。
「・・・まあそう言うなら俺達は行くが。」
「くれぐれも無理はなさらないで下さい。もし暫く待っても先生に会えそうになければ、私に連絡を下されば此方から近くの先生に春日さんの事を連絡します。」
「有難う御座います・・・」
「いえ、大した事では・・・なんですか、仁王君?」
「いや。教師陣の携帯番号を抑えられる生徒会様が、ちいと羨ましくなっただけじゃ。」
「教えませんよ?」
「あ、あはは・・・」
そうして紫希は2人と別れた。
そして、その大凡10分ほど後だったろうか。
右手に崖、左手に斜面を見ながら歩いていると、パラと音を立てて上から小石が幾つかが落ちてきた。
(?何でしょう?落石じゃないですよね?紀伊梨ちゃんが猫ちゃんを見たと言ってましたし・・・)
何か動物かな、と思って上を見上げた時だった。
「・・・・え!?」
土や石と一緒に何か、山にそぐわないパステルブルーの物が目の前に落ちてきた。
そしてそれは紫希の目の前に落ちて尚勢いを失わず転がって行き、右手側の斜面からあっけなく放り出された。
「あ、ま、待って・・・!」
しかし待ってと言われて待ってくれるものでもない。
更に下に落ちて行ったそれは、眼下の藪の上に引っかかって着地した。
そこで初めて紫希はそれをまじまじと見ることが出来たが、あれは。
知ってる。見覚えがある。
(あれは一条さんの・・・)
スマホである。
あの携帯カバーにストラップ、間違いない。
この前、プール掃除の時に見たばかりだから覚えている。
(どうしましょう、ここからじゃ遠すぎて届きませんし・・・)
となると、紫希が拾ってやろうと思うなら手段は1つ。
戻るのだ。
1つ下の道に行けば、あの木を揺さぶって落とすことが出来る。
「・・・・・・」
戻ろう。
紫希は立ち上がって、後ろを振り向くのだった。