それから切原は、目に見えてウキウキし始めた。
紀伊梨の見てる前に限らず、誰の見ている前でもウキウキでニコニコ。
早くエルに会いたいと、しきりに言った。
口を開けば、エルの話をした。
エルが来る時のために、準備もした。美味しいものを食べさせたいし、綺麗な部屋が必要だし、花が好きだからいくらか見繕いたいと、笑って誰彼構わず話した。
城の者は、皆エルの噂をするようになった。
王子の大切な、幼馴染の女の子のエル。
綺麗な赤毛、うるうるした茶色の目、しなやかな手足。
性格は繊細で人見知りで、でも王子には甘えん坊で寂しがり屋。
昔はよく一緒に遊んだり、お昼寝したり、勝手に遠出して怒られたり、たくさんの思い出がある。
エル。
エル。
エル。
エルの名が聞こえるようになって1週間。
紀伊梨の様子は、目に見えて変わっていた。
「おーい。開けて良い?」
「良いよ。」
ここは、姫の個人事務室。
丸井が扉を開けると、そこで、紀伊梨は仕事と向き合っていた。
「ほい、昼飯。柳の執務室行ったんだけど、ここじゃないって言われてよ。」
「そ。3日前から、もうずっとこっち。」
「へー。」
(結構上手くいってる?)
(まあね。私らがチクチク言ってるのもあるけど。)
紀伊梨に、遠回しな嫌味は通じない。
それを良いことに、この件について危機意識を抱いていた臣下達は、皆紀伊梨が何か言うたびに我が身を振り返らせた。
切原がエルの話ばかりするとぼやいたら、姫だって柳さんの話ばかりしてるじゃないですかと言った。
エルの部屋の手入ればかりしていると言ったら、仕事の間中柳さんの部屋に入り浸りじゃないですかと返した。
エルのことを可愛いと褒めると言ったら、柳に王になれとまで言ってたのに、何を急にと言われて、紀伊梨はもう黙るしかなかった。
紀伊梨ちゃん、やなぎーがそう言う風に好きなわけじゃないよ。
と言うと、城の者はみな同じように答えた。
多分、王子もエルさんと結婚したいわけではないですよ。と。
おかげで紀伊梨は、今初めて「嫉妬」という感情が芽生え、それに振り回されていた。
ちょっと可哀想では、という声も聞こえ始めたが、柳や真田、それに幸村は「やるならもう徹底する」と言い張った。
「ちなみに。」
「ん?」
「いつまでやんの?」
「少なくとも後10日。」
「へー。なんで?」
丸井の疑問に、千百合がカレンダーを指差す。
「・・・ああ。」
後10日経つと、城の行事の一つである、離宮見学がある。まあざっくり言うと、別荘でちょっと過ごすのだ。
半分は遊びで、半分は仕事。
家というのは、たまに人が入らないと、あっという間に劣化してしまうから。
だから、エルはお付きのものと初手で別荘に移動しておいてもらい、そこで切原と紀伊梨と顔合わせしてもらう。という方向で行こう、ということになっていた。
別荘と言っても、なんのことはない、城の敷地内の話である。
ただ、敷地の端っこであるため、城が近いという感覚はあまりない。そういう立地にあった。
王子の幼馴染のもてなしには、うってつけである。
「・・・ねー、何の話してるのー・・・?」
「こっちの話。」
「っつうか、飯食わねえの?」
「・・・赤也くんと一緒に食べたい・・・」
「どうしたの、今までずっと柳と一緒で、赤也くんとなんて言わなかったのに。」
(容赦ねえな。)
即、この返しを飛ばしている辺り、千百合はだいぶ慣れてきたらしい。
「・・・・ぅぅぅうううう〜〜〜!」
「あ。」
「泣くな。」
「泣くなって何さーーー!」
「あんた、数ヶ月単位で夫のことほったらかしてたくせに、自分が同じ立場になったら1週間で匙投げるわけ?」
「だって!だってさあ!」
「あのね。今王子は、やっと会える幼馴染のお世話に忙しいの。あんたが急に暇作ったからって、あっちもそうとは限らないの。」
「・・・・・・・・」
「心配しなくても、王子はエルティアさんに恋愛感情とかないから。」
「・・・・でも嫌だ・・・」
「その台詞は挙式直後の自分に教えてやりな。」
本当に容赦がない。
これは作戦云々置いといて、千百合の性格であった。
紀伊梨の変化は、切原もわかっていた。
いかに顔を合わせる時間が少ないとは言っても、ないわけじゃない。
流石に気づく。
ただ、あまり嬉しがるなよと言われているので、その言いつけも頑張って守っていた。
「ただいまー・・・」
「おかえり!」
「うぐっ!」
「おかえり!おかえり!おかえり!」
「は、はいはい帰りましたよー・・・」
もうここからして、すごい変化。
紀伊梨は切原が戻るまで起きているし、戻ったら抱きついてくる。
本当は切原も、ぎゅっと抱きしめ返したい。
けど、我慢しろと言われている。
エルに会わせるまでは。
何故か知らんけど。
「・・・赤也くん、まだお仕事大変?」
「え?ああ、まあ・・・少なくなっては来ましたけど。あのー、エルのこと迎える準備があるんで。」
これも言いつけ。
できるだけ、エルの話をしろ。
はっきり言って切原は、エルの話をしてどうなるのか、あまりよくわかっていなかった。
ただ、その通りにしていたらメキメキ紀伊梨の様子が変わるので、その通りにしていた。
「・・・・・・赤也くん。」
「何すか?」
「・・・紀伊梨ちゃんとエルちゃん、どっちが好き?」
「へ?」
紀伊梨と。
エルと。
どっちが好き。
「え、どっちって言われても・・・」
「・・・・・・」
「だ、だって!紀伊梨さんだって、俺と柳さんとどっちが好きって言われたら困るでしょ!?」
でも柳と結婚したいわけじゃないよ。
は通らないのだ。
意味もわからず結婚を迫ったことは、昔から何度もあったから。
なんであんなこと言ったんだろう。
いや。
切原は最初から、そのことも知っていた。
知ってて結婚してくれてるんだから、と思っていたけど、切原は相当我慢してくれていたのだ。
紀伊梨はやっと、そのことを実感しだした。
なのにお前はすぐ音をあげるのか。
と言われると、もう何も言えない。
そういうのは、切原以前に、臣下勢が一通り言ってくれた後だった。
「・・・よくわかりませんけど、もう寝て良いっすか?」
「・・・・・うん。」
「・・・・・あの。」
「なーに?」
「・・・・いや!何でもないっす、おやすみなさい!」
危ない。
一緒に寝ますか、って言いそうだった。
まだだめ。よし、を言われてない。
よしよし、今日も乗り切ったぞ。
と思い、充実した気持ちで眠る切原。
その背を、紀伊梨は横になりながら見ていた。
さっき何を言いかけたんだろう。
悪い想像がぐるぐる腹の中を駆け回り、疲れているのに、眠りがなかなか訪れなかった。